徒然帳

小説と、障害と、時々日常

大学三年の秋、発達障害と知った

真面目な話を書こうと思う。何番煎じだと言われそうな内容も含むので批判も中傷もくるかもしれないが、まあその時はその時だ

 

自分が発達障害だと分かった時。これは、正直どうなんだろうと自分の中で思うところはあった

というのも自分が進学した大学の学部学科は心理学系統で、講義の一環で発達検査方法を学んでしまう。これは内容がほぼ変わらない為、一度しか受けられない(人間学習してしまうので複数回やると結果が変わってしまうと教わった)特性を歪めてしまう

つまり事前知識として検査の流れや算出方法をざっくり朧げながらも知ってしまっている状態からスタートしているわけで、言ってはなんだがそれらしく振舞うことができてしまうわけだ

最も、見聞きするのと実際にやってみるのとは違うし、検査時に大学でのことは話してあるので考慮はされてるかもしれない

大体ほんのちょっとだけ検査項目をやって算出方法を学ぶのと、全ての検査項目をやって算出されるのでは別物ではなかろうか。第一頭の疲れ具合が違う

なのでまあ、最終的には納得した。仮に操作できた検査結果だとして、出来ることを出来ないように見せかけるのはできたとしても、出来ないことを出来るように見せるのは難しいなんてものじゃない。オウム返しに話すことはできても、話す内容の順序を逆にして話せなんて練習なしに出来るものじゃないのだから

 

さて、ここまで書いてそもそも何で発達検査を受けようと思ったのか書いてなかった

(少なくとも)心理系はこういう講義を取り扱う性質上、当てはまる人はいるだろうがあくまで目安であるから気楽に受けること、と事前に言われる。発達障害しかり精神障害しかり、行動心理から推測される性格や心理的心情しかり、その他諸々含めて、だ

とはいえ、自分の場合全体的にあまりにも心当たりがありすぎた。「自分にもそういうことあるなー」から「滅茶苦茶分かる」となり、しまいには「これ当てはまりすぎじゃ…」となったのだ

加えて年に一度ある健康診断の際に行われるストレスチェック(今思うと簡易的な精神状態の確認)で毎年引っかかっていたのもあり、どちらにせよ心療内科ないし精神科への受診を勧められていたのだからついでのつもりで受けた

そしたら何とまあ、案の定である。笑い草にもなりゃしない

 

これが大学三年、そろそろ就活と卒論を考えねばならない時期のことだった

自分にはこの時、二つの選択肢が生まれた

健常者と共に一般就労するか、福祉手帳を取得して障害雇用されるか、の

住む地域や家族を鑑みて前者を取った

 

その会社を退職してしまったからそれは失敗だったろうが、当時の自分に時が戻ったとしてもこの選択は変わらないだろう

別に発達障害だったから困った、なんてことはなかったからだ。むしろ薬物療法の副産物である副作用に苦しめられていたのだから……