徒然帳

小説と、障害と、時々日常

外が辛い

文字通り辛い。多分、「分かる」という人と「分からない」人がいるこの話題、たまに

「でも仕事とか行くのに外には出れるんでしょ?なら大丈夫じゃん」

という意見がある

違う。そうじゃない。それは何かしら対策してるからで、内心は戦っている──といえば大袈裟かもしれないが、感覚としてはこれに近いのでそう表記させてもらう

 

例えば電車や車、バスに一人で乗っていたとして暇になった貴方はどうされるだろう。大抵携帯を使うのではないだろうか。あるいは疲れ果てて寝てしまうとか、たまたま持っていた本を読むとか。窓の外を見るとか。何かしらの方法で暇潰しをしようとするのではないか

そういう方法を取りながら『外』に出ているといえば少しくらいは分かってもらえるのだろうか

けれど厄介なのは、敵は暇ではなく自身の心にあるということだ

何故外に出るのが辛いかは人それぞれなのであえて話さないが、この自身の心が敵であるがゆえに理解されにくい

調子が良ければ何時間でも外にいられるし、そうでなければ五分外に出るだけでも辛いからだ

 

そして何よりも苦しくなるのは「どんなに辛くても外に出なければいけない場面」があることだ

内心、場所を選ばず叫びたかったり呼吸がしづらかったり倒れそうになっていたりしたとしても許されないなら自分と戦うしかないのだ

 

だから何度も思うのだ。外は怖いと